クリスマスの想い出



この原稿を書いているのは12月23日、街はおもいっきりクリスマスモードで
オイラの住む足立区竹の塚でさえ、街路樹のイルミネーション、サンタパレードと
街をあげて「ジングベー、ジングベーな状態」にある。
ましてや都会の渋谷、新宿などではそりゃもぉ、大騒ぎでクリスマス商戦という
お祭に神輿こそ担ぐことはないが、「せいやー、せいやーな状態」にある。
だから聖夜(せいや)というのかもしれない。
(なんちゃって!)

オイラがガキの頃だった昭和30〜40年代のクリスマスはこんなに派手じゃなかったが
もっと温かいイベントだったような気がする。
今では11月に入るとすぐに繁華街にはクリスマスツリーが飾られ、ラジオからも
クリスマスソングが流れてきたりして「あー、もうクリスマスなのか、今年も終わりだにゃ〜」
と思ってしまうのは決してオイラだけじゃないはずだ。
たぶん当時は12月になってから一気にクリスマスモードに突入したように思う。
そしてサンタクロースの格好をしたサンドイッチマンは当時の方が大勢いたような気がしてやまない。
クリスマスソングは色々とあったが、それらはジングルベルやきよしこの夜などの定番もので
今のように山下達郎が♪きっと君は来ない といったり松任谷由実が♪恋人はサンタクロース
日本人が歌うものではなかった。

クリスマスソングといえば、オイラの通った保育園はキリスト教だったのでよく賛美歌を
歌わさせられたのたが、たとえば「もろびとこぞりて」

 ♪もろびとこぞりて むかえまつれ
  久しく 待ちにし
  主はきませり 主はきませり
  主は 主は きませり


5歳の子どもに「もろびと こぞりて」「しゅはきませり」と言ったところで意味が
わかるわけがないでしょ。オイラはこの意味がわかるようになったのは、中学3年の時だ。
『シュワッキマセリ、シュワッキマセリ』と神様を呼ぶ時の呪文だと思っていた。(笑)
シュワッチ!!!


クリスマスを盛り上げるものにツリーは欠かせないと思うが、家庭にツリーを飾り付ける
というのは当時では、花輪くんスネ夫くらいのお金持ちの家だけだった。
しかも庭に埋まっている本物のモミの木を使い、クスリマスが終わると庭に戻すという
本格的なツリーだったりもする。
僕ら庶民の家庭ではせいぜい30センチくらいのおもちゃのツリーに星や玉、ベルを
ぶらさげるのがいいところだ。


だから大人になって家の中にツリーを飾った時には、なんだか自分がお金持ちになった
ような錯覚に陥り、子どもたちと一緒に飾り付けなんかした日にゃ、とても幸せな気分になった

(クリスマスツリーはオイラの頭の中では裕福な家庭のシンボルになっている)


またクリスマスを盛り上げるものパートUとしては、やはりケーキの存在である。
当時はケーキを食べるのは1年間に2〜3度あるかどうかで、そのうち1度はクリスマスで
あとは誕生日くらいであった。今のような生クリームではなく、バタークリームを使ったもの
だったけど、子どもには贅沢な食べ物であった。チョコで出来た”Merry X'mas”の板の
部分を誰が食べるかでよく姉とケンカもした。ロウソクはサンタさんでできていてこれに
火が点くと一気に盛り上がるのだ。
(しばらくするとドロドロに溶けたサンタゾンビに変身してしまうのが哀れでもあったが)
デコレーションアイスケーキはさらにグレードが高く、滅多に食べることができなかった。
これは予約制で近所のパン屋さんにあらかじめ予約しておかなければならない。
あの頃は冬にアイスクリームを食べるという習慣はなく、これが最初のきっかけではないだろうか。
父親から聞いた話だが、会社の福利厚生の一環としてクリスマスイブの日にケーキを支給する
会社も少なくなかったそうだ。お父さんたちはこのケーキを持って帰宅すると
「さすがは一家の大黒柱、きゃ♪素敵なお父さん」ということで子どもたちに喜ばれたそうだ。
やはりケーキの存在は大きかったことが窺える。
当時、テレビなどでアメリカ人はクリスマスに七面鳥を食べることは知っていたが、
日本の庶民で同じことをする家庭はほとんどなかったと思う。クリスマスに焼き鳥を食べる
ようになったのはケンタッキーフライドチキンが日本上陸してからではないだろうか。
またシャンパンについては子どもだったのでよくわからないが、クリスマス特有のドリンク
という感覚だ。ふだんシャンパンを飲む習慣は日本にはなかったように思うのだが。。。



さらにクリスマスを盛り上げるものパートVとしては、プレゼントの存在だ。
当時の子どもたちはクリスマスプレゼントのために1年間の苦労を耐えてきたと言っても
言い過ぎではある。(笑)クリスマスプレゼントはイコール「ビッグなおもちゃ」の等式が
成り立ち、オイラの場合にはウルトラマシン野球盤、サッカーゲーム、人生ゲームなどを
サンタさんからいただいた。どれも靴下には入らないまさにビッグなおもちゃだ。
一点豪華主義、人生楽ありゃ苦もあるさ、日々是決戦な贈り物である←意味不明
いつ頃までサンタさんを信じていただろうか。当時の子どもたちは今の子どもよりも
素直だったから年齢が高くなってもサンタさんを信じていたと思う。
オイラが小学3年の時、父親が教えてくれたのだが、「うちは親がサンタの代わりにプレゼント
をしてあげることになっているんだよ。親からプレゼントがもらえない子にだけサンタは
やってくるのさ」と。。。妙に納得してしまい、今では同じことを我が子に伝えている。


プレゼントのさらなる付加価値として「クリスマスブーツのお菓子セット」がある。
これまた嬉しいプレゼントで当時「詰め合わせセット」というのは豪華を意味していたと思う。
ダンボールで作られたブーツに銀紙が貼ってあり、小さいものから大きいものまで種類は
多彩だったが、やはりヤマザキではなく不二家の方が嬉しいのだ。
不二家のブーツには、ペコちゃんのペロペロキャンディはもとより、ペンシルチョコ、
パラソルチョコが入っていたから。話は逸れるが、昭和30年代の不二家は庶民には
ゴージャスなイメージがある。(うちだけだろうか)手提げがモールでできていて、
ペコちゃんの目が動く”ミルキー”はなかなか買ってもらえなかった。
フランスチョコ、ノースキャロライナーは本格的なお菓子だったような気もする。

        

このように滅多に食べることのできないケーキに加えてビッグなプレゼントがもらえる楽しみ、、、
さらに翌日からは冬休みで学校は休み、さらに♪もういくつ寝るとお正月&お年玉、、、と
現在のように豊かでなかった時代の子どもたちにとってクリスマスは実に楽しいイベントであったのだ。



我が家の年末年始も参考にしてください


(原稿:2002.12.23) 

「あの頃」のセピア色の想い出