昭和のつっぱり君




ここでははすぴーが中学〜高校時代、つまり昭和40年代の後半というのが
時代設定である。はすぴー君はどちらかといえば真面目な学生であったが
友人がワルだったので一緒になって不良の真似をしたもんだ。
「理由なく反抗しちゃうぜぃ」こんな青春は誰にもあったのではなかろうか。

コーラで茶髪 たまごでリンス


今では
茶髪は当たり前、ほらワードでも「ちゃぱつ」で変換してくれた。
しかし、昭和40年代に髪の毛を染めることは不良の代名詞、茶髪のお兄さんや
お姉さんたちとは決して目をあわせないようにしなければならなかった。
現代の感覚ならモヒカン刈りしたレインボーヘアーみたいにもんだ。
今ならヘアーマニュキュアとかで簡単に染めることもできるが、当時のツッパリは
なんと
コカコーラで髪の毛を染めていたのだ。正確には染めるというより脱色して
茶色ぽくしていたといった方が正しい。さらには
オキシドールを使って脱色する
すごいやつもいた。
(爆、、、でも本当の話)
(もちろん当時でも理髪店・パーマ屋で髪を染めてくれただろうが、
不良学生にとって高額だったのであろう)

コカコーラやオキシドールで脱色すれば当然のことながら髪は傷むので
リンスのかわりに
生たまごの黄身を直接、使い髪に栄養を与える。
でも、きっと当時、コーラで脱色していた不良くんは今ごろハゲてアデランスの
お世話になっているだろうなぁ〜
ちなみに当時に流行っていた「ナンセンスクイズ」にこんなのがあった。
Q.マグマ大使、サザエさん、ウルトラマンが就職試験の面接にいきました。
誰が合格したでしょうか?

A.マグマ大使、髪の毛を
染めているので不合格
  サザエさん、
パーマをかけているので不合格
  ウルトラマン、
眉毛がないので不合格

    



ボンタンといってもボンタンアメじゃない

正統派の昭和ツッパリは
"ボンタン"というタブタブの変形ズボンを穿いていた。
あらためて見るとかなりダサイ。さぞ重たかっただろうし、行動しにくかっただろう
がツッパリには合理性は不要なのだ。
ボンタンズボンに入るタックの数は、地位の現しでもあり、右にいくほどエライ。
ツッパリは礼節や上下関係を重んじるのだ。
学ランの裏側の刺繍やら、ネックのホルダーの裏生地はどういうわけか玉虫色やら
虎やらの
絵柄の刺繍をほどこしているヤツも多かった。
さらに番長格ともなると制服とは別に特注で膝丈ほどもあるガクランに
「登り竜」の刺繍などをし、放課後それに着替えたりもする。
真のツッパリはよそいき着をもっているのだ。
さらに詰め襟が通常の2〜3倍長いものがあったが、あれはむち打ちをした
時のギブスみたいでカッチョ悪かった。
ツッパリは首を固定し、正面以外に顔を向けないのである。
その他、ラッパ(パンタロン状)は引きずるほど長くて、いつも汚れていたし、
スリムはボンレスハムみたいだっし、モーニングカットは結婚式の帰りみたいだっし、
スカマン、ドカン、長ラン、短ラン、袖ラッパ、センターベント、ダブルベンツ、
パッチポケット、切り返し、隠しボタン、セミダブル、など、、、今にして
振り返れば大汗もんのダサさである。

      

ちなみに女生徒のツッパリの場合、くるぶしまである
ロングスカート
雨の日は裾がびっちょりになるがツッパリには矛盾を承知での行動も必要なのだ。
ジャケットタイプの制服の場合には襟を立てて左右の襟を
安全ピン
閉じるように留めるのが登下校のスタイルだ。
冬場はやはりコートの襟を同じように安全ピンで留め、足元は黒タイツ。
これは厚手のタイツを穿きストッキングのように透けるものはNGなのだ。
そして何故か風邪をひいているわけでもないのに口元には
「マスク」
このマスクの意味は一体、何だったのか無性に知りたいぞ。
当時の眉毛は
メチャ細眉で毛抜きで抜いたり、剃ったりしていたらしい、
その後、太眉が流行る頃、生えてこないので困っている女ツッパリもいた。
女性ツッパリの場合、次の流行を読む先見性も要求されるのだ。

      
当時、流行った「なめネコ」の又吉くん、キメのセリフはご存じ「なめんなよ!」


薄いカバンを競い合って作った

当時のツッパリは通学には通常の学生カバンではなく、サラリーマンのオッちゃん
が持つような皮製でファスナーで開閉するモノを好んだ。
これを針金巻いて
風呂場で熱湯に浸し、待つこと3時間、あら不思議、カバンは
ペチャンコになるのである。ツッパリ度の高いやつほどカバンは薄いという
「ツッパリ/カバン正比例の法則」もあり、競い合って薄いカバンを製作したもんだ。
(でも風呂がしばらく牛臭くなってしまい家族から非難される)
せっかく作った薄いカバンの中には
下敷きとタバコくらいしか入れない。
女子の場合には
化粧品が入っていたようだ。
そうそう、女子は何故か
お守りをつけていたが、あれは何のお守りだったのだろうか。
また取っ手部分に色付きの
ビニールテープを巻くことで【隠語】とすることも
当時は流行した。
青いテープ・・・「彼氏募集中」 赤いテープ・・・「ケンカ買います」など



やっぱりビッグな永ちゃん

当時のツッパリたちが崇拝していたのが永ちゃん、永六輔ではない、矢沢の永ちゃん
俺たちの矢沢永吉だ。伝説の
「キャロル」というロックグループのリーダーで
皮のツナギにサングラス、ヘアスタイルは当時のツッパリの標準である
サイン・コサイン・リーゼント(←タンジェントやがな)、コンサートは暴走族の
集結場になるくらいツッパリくんの憧れでもあった存在だ。
現在でも
"ファンキー・モンキー・ベイビー"のイントロを聞くだけでわくわくと
してしまうおじさん、おばさんは少なくないはずだ。
英語もどきの日本語で歌う歌い方はサザンの桑田が第一人者と思われている人も
多いだろうが、永ちゃんが最初だろう。たとえば「俺の彼女=おれぇのきゃのじぉ〜」
と歌う。 ←
「おれ、ヤザワ。そこんとこ、よろしく!」
1975年4月13日、雨の日比谷野音で行われた解散コンサートはまさにキャロルの
最後を語るようであった。キャロルの親衛隊でもあった
クールスの岩城晃一、
館ひろしらも登場して、ツッパリのお兄さん方に睨みをきかして「おい、お前ら、
ちゃんと並べよ!」などと、行列を仕切っていたという。
そして当時のツッパリはなぜか
爆竹が大好きなのであり、永ちゃんもまた
爆竹が好きだったらしく、体に爆竹を巻いて登場した事もある。
しかもその爆竹の量が多すぎたため、死にそうになった、などというとんでもない
エピソードも残っている(笑)
解散コンサートではアンコール終了後、演出用の爆竹が元で
ステージが火事になり、
結果的にまさに燃えつきるというこれまたキャロルらしい最後だ。(実話)

   



竹槍マフラーで暴走しちゃうぜ

たぶん昭和40〜50年代が最も
暴走族が活発だった時代ではなかろうか。
なんたって夏はもとより真冬の早朝でもパラパパラパ♪と爆音をたて100台
くらいの族が走り回っている時代だったのだ。
オイラの住む足立区竹の塚駅の改札口を出たところには、「暴走族になるのはやめよう」
と書いたポスターが貼られていた
(標語にしてはストレートすぎるぞ)
ちなみに足立区の場合
「足立ブラックエンペラー」だの「足立スペクター」だの
冠に足立がつくだけでいきなりダサくなってしまう。
はすぴーもおっさんライダーゆえ、バイクでかっ飛ぶ気持ち良さは理解できる
のだが、人様に迷惑をかけるような走り方はいけない。
たとえば下の写真にある当時流行った爆音バリバリの
竹槍マフラーにあさって
の方向を向いているヘッドライトの改造バイクは昭和ダサさの代表選手だ。
これらの暴走族は倉庫や工場に
スプレーで「地獄軍団」「死国ルート20」「特攻修羅」
とか恐ろしい漢字を書いた。オイラの高校の正門にもスプレーで「
呪いの凶徒会」と
書きたかったのだろうが、「
祝い」になってしまい教師はもとより全生徒が笑っていた。
暴走族はもう少し漢字を勉強せねばならない。

       

シャコタン改造車の定番といえば、地を這うような車高の低さを競いあった。
よくあったのは、初代ローレル、初代セレステ、箱スカ、セドリック、初代サバンナ
などのクルマがべース車として重宝がられた。
また少数派ではあったが、アメ車などでホットロッド風の
『ヒップアップ』系も
ツッパリ車として存在した。そしてこれらのかっ飛び車のカーステレオからは
先のキャロルやデープパープルといったハードロックの曲がこれでもか、これでもか
最大限のボリュームだぜぃ、音が割れちゃって何の曲かわかんねぇ〜だろ!ちゅー
くらいの大音量で流れていた。
「大ちゃん数え歌」
(ひとつ人より力持ちィ〜♪)
流しケンメリに
箱乗りしていたのはまだ尻の青い友人F君だったりもする。


つっぱりはかたちから入るべし

つっぱりには基本形というか、それなりのミテクレが必要である。たとえば
「愛と誠」に登場する
岩清水くんのように黒ブチのメガネでヒチサン分けでは
どうみてもつっぱりになれない。やはり太賀誠のように学ランのボタンをはずし、
シャツは着ないで腕まくり、、、このくらいしないと不良になれないのだ。

      

さらに基本形という観点では、
「うんこ座り」は必ずマスターしなくてはらない
スタイルであり、
女性もののサンダルをひっかけ、ツバを吐きながら歩く
そしてつっぱり特有の用語
(ex. マブダチ タメ  マブイ チクル チョーパン 
ハブ フケル やきを入れる  根性焼き タイマン ズベ公 ガンをつける ソリこみetc)

を器用に使いこなし、
カツアゲをしたりするのだ。
←アツアゲを食べることではない
ヘアースタイルはアイパーかリーゼント。ひさしの長さを競い合った。
電車のドアにひさしを挟まれてじっとしているつっぱりも当時はよくいたりする。
服装面ではキャロルの永ちゃんの真似をして、
皮ジャンにサングラスをしたり
ダウンタウンブギウギバンドみたいに
ツナギを着たりもしたが、はすぴー的には
ジェームズ・ディーンの
赤のスウィングトップにブルージーンズが一番、カッチョ
よかったので、真似てみたがあれはジェームズ・ディーンだから似合うのであって
オイラがやるとチンドン屋みたいになっちまったい(汗)

        
          J・ディーンの赤いスウィングトップに憧れたのだ     ↑若かりし頃のはすぴー君。
                                                特に帽子が超ダサイ(汗)

今にして思えば、恥ずかしい昭和のつっぱりたちだが、あれはあれで21世紀に
語り継ぎたい庶民文化ということではすぴー倶楽部に残しておくことにした。
今の不良に比べれば、まだ筋は通っていたように思うし、やっていることもかわいいもんだ。
当時のつっぱり君たちも今では中年太りした普通のおじさん、おばさんになって
いてあの頃のつっぱり写真を見ては大汗をかいていることだろう。



(原稿:2003.6.29) 

「あの頃」のセピア色の想い出