絶滅寸前こだわり商品No.7

★ 公衆電話(赤・青・黄)

 

はすぴーが生まれてから現在まで42年間の月日が流れたが、変化の大きいアイテムの

ひとつとして「電話」があげられる。

今や携帯電話・PHSは日本全人口の2人に1台以上の割合で持つようになり、「iモード」

「iアプリ」はもとよりカメラや音楽プレイヤー機能の装備されたものさえある。

はすぴーがガキだった昭和30年代の後半の頃には電話は各家庭に普及しておらず、

「呼び出し」といって電話のある隣り近所の家に電話をして、取り次いでもらうことが

あった時代だ。そして料金は3分10円ではなく、1回10円であった。(笑)

最近ではとんと見かけなくなったが、家庭用の電話は「黒」しかなくて、「ジーコジーコ」

とダイヤルを回すので、プッシュ式に比べて「掛けるだけでも」時間もかかり、指先が疲れてしまう。

ワイヤレス、留守録機能、番号短縮機能、子機は現在では当り前であるが、当時からみれば

画期的なもので、ましてや「ナンバーディスプレイ」は入れ歯が飛び出るくらいの優れもの

なのだと思う。今後、電話はますます進化していくと予想される。

 

さて、そういう進化の過程において、見かけなくなった公衆電話がある。

通称「赤電話」と呼ばれていたものや、色が黄色いもの、青色のものが以前は存在していた。

そうそう「ピンク電話」もあったが、これはエッチ系の電話ではなくて、一般加入を公衆電話

として使用したもので電話の色がピンクなのだ。

(ピンクというとエッチ方面を示すようになったのはいつ頃からだろうか)

これらの公衆電話は見かけなくなったが、はたして絶滅してしまったのか今回の調査対象と

してみることにした。

 

まず「公衆電話のはじめて」について調べてみよう。

くるくるバビンチョ、パピッペポ、ひやひやどきんちょのモーグタン。

(↑わかる人だけ笑ってください・・・(^_^)v)

時は明治33年9月11日(今からちょうど100年前)上野駅と新橋駅の構内に公衆電話が

設置された。当時は公衆電話とは呼ばず「自動電話」といったそうだ。

アメリカのオートマティック・テレホォンを直訳したらしいが、これがちーとも自動(automatic)

ではないのがおかしい。ハンドルをまわして交換手を呼び出して電話番号を告げる。

すると交換手が「料金を入れてください」というそうな。

当時の通話料は15銭で、5銭白銅を入れると「チーン」、10銭銀貨を入れると「ポーン」と

なる仕掛けになっていて、この音を確かめて交換手は電話を繋ぐというから驚きではないか。

 

さらにびっくりすることに、最初の赤電話は赤ではなくて「黒」だったということだ。

はすぴーの生まれる前のことなので、もちろん記憶はないが、たぶん当時は街灯の数も少なかった

だろうし、街全体がうす暗かったと思う。だから黒い公衆電話は目立たなかったのだと推測される。

赤い電話にかわったのは、昭和28年というから電気通信省が電信電話公社(現NTT)に改組

された翌年のことになる。

公衆電話の色が黒から赤になって人気がでてきて、庶民にとって身近なものになったらしい。

 

その後、何回かモデルチェンジがあり、昭和30年に登場した赤電話はその色と形から

「赤ダルマ」と呼び親しまれ、これははすぴーが記憶しているものだと思う。

赤電話は店先に置くものであったが、その後、街頭用の青電話が登場し、昭和34年には

喫茶店やアパートなどにピンク電話がお目見えするようになった。

昭和35年の6月には全国で10万台の公衆電話が設置され、資料によると10万台目の

それは「池袋の森永ストアに設置」とあった。

   (↑どこでもいいような気がするが、、、森永製菓のCM戦略か?)

 

さらに調査をしていくと、昭和44年に「総ガラス張りボックス」が登場とあった。

そうそう、この頃(はすぴー小学6年)5円玉も使えるボックス式の公衆電話があって「ただ電話」

かけまくった時だ。(もう時効だと思うので告白&お詫び)

 

公衆電話の色に関しては、昭和47年に100円硬貨が使える「黄電話」が登場し、現在もっとも

よくみかける「緑電話」が昭和48年に、そして平成3年にはディジタル公衆電話(パソコン通信も

できるざます)の「グレー電話」が登場し、ますますカラフルになって「電話ゴーレンジャー」と

呼ばれ、正義のヒーローとなった(わけがない)。

 

公衆電話の色はどういう理由で決まったのか疑問に思い、色々と調べてみたのだが、正式な

ものはなく、世間の憶測?あるいは通説らしい見解があったので掲載すると、、、

赤色 (昭和28年) ・・・暗い街頭でも目立つように(前述のように当初は黒だった)

青色(昭和28年)・・・平和が甦った(もはや戦後ではない)

ピンク(昭和34年)・・・不明(はすぴー説:うふっ〜ん、いけいけドンドン)

黄色 (昭和47年)・・・注意信号の黄色(石油ショックの年)

緑色 (昭和48年) ・・・最初はオレンジ色の予定だったが、オレンジは、欧米では非常に

            危険な色だったので、さわやかなイメージの緑に変更

灰色 (平成3年) ・・・世の中全体が、中間色になってきて原色を使うことが好まれなくなった

            ことと、ハイテクのイメージであるライトグレーを使用

さて、話を本題に戻して、これらの公衆電話のうち現在、明らかに存在するのは緑とグレー

であるが、それ以外のものは見かけなくなった。

そして調査の結果、なんと赤・青・黄色の公衆電話は平成7年(1995)に廃止となっていたことが

わかったのである。うーむ、見かけなくなったと思いきや既に絶滅していたか。。。(アーメン)

絶滅の明解な原因は定かではないのだが、昭和50年に押しボタンのプッシュ式が登場し、

さらには昭和57年にはテレホンカード式が現れて、カードが主流となり、ジーコジーコ

(サッカーのジーコを呼んでいるわれじゃない)とダイヤルをまわすタイプがお払い箱となった

と想像できる。NTTは平成7年に公衆電話のカード化を100%達成すると同時に色の統一化も

兼ねて赤・青・黄の廃止を行ったものと思われる。

これらの色に慣れ親しんできた我々の世代にとって、いささか(磯野家の隣りの作家じゃない)

寂しい気がしないでもないが、これも時の流れで仕方のないことかも知れない。

※ピンク電話については廃止されたか否か結局のところわからなかったのだが、たまーに

  ピンクの公衆電話を今でも見かけるような気がするんだけど???(どなたかピンク電話についての生存を確かめていただきたい)

現在、緑色の公衆電話は75万台、グレーのデジタル公衆電話が5万台が設置されているらしいが

これらも、携帯電話の普及に伴って、急激な勢いで減少しているらしい。調査したところによると

昭和59年から平成10年までの13年間で約16万台の公衆電話が撤退されているのだ。

この勢いは加速度的に減少しているので、もしかしたら公衆電話そのものが絶滅してしまう、、、

なんてこともあるかもしれない。


昭和28年 ・委託公衆電話を赤色に統一(赤電話のはじまり)

・硬貨式公衆電話(青色ボックス公衆電話) 登場

・「公衆電話の家」オープン

昭和29年 ・鋼製ボックス 登場

昭和30年 ・料金前納式赤電話 登場

昭和32年 ・近畿日本鉄道で列車公衆電話開始

昭和34年 ・ピンク電話(特殊簡易公衆電話機) 登場

昭和41年 ・ダイヤル市外通話が可能な赤電話 登場

昭和43年 ・ダイヤル市外通話が可能な青電話 登場

昭和44年 ・総ガラス張りボックス 登場

昭和45年 ・公衆電話の市内通話3分打切り

昭和46年 ・新型赤電話 登場

昭和47年 ・大型ピンク電話 登場

・100円併用黄電話 登場

昭和48年 ・新型青電話 登場

昭和50年 ・プッシュ式100円併用黄電話 登場

昭和57年 ・カード式公衆電話 登場

・テレホンカード販売開始

昭和58年 ・カード自動販売機 登場

昭和60年 ・NTT発足

・100円ピンク電話 登場

昭和63年 ・オートダイヤルカード販売開始

平成 元年・カード式ピンク電話 登場

平成 2年 ・ディジタル公衆電話 登場

・NTTカードC販売開始

平成 3年 ・公衆電話からのダイヤルQ2の利用停止

・新型ディジタル公衆電話 登場

・新型ボックス 登場

平成 4年 ・高額テレホンカード販売/利用停止

平成 5年 ・公衆電話通話料金の改定

平成 7年 ・公衆電話カード化100%

お便りコーナー

 

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 原稿:2001.4.1