★ ラジコンカーとトランシーバー

〜無線の素晴らしさ〜

昔に流行った懐かしいおもちゃとして、駄菓子屋で売っている「銀玉鉄砲」

エレクトロニクスの「光線銃SP」などを紹介してきたが、はすぴーが小学生

だった昭和40年代に一番、欲しかったおもちゃ、誰もが羨望のまなざしだったもの、、、

つまり「キング・オブ・ザ・おもちゃ」といえば、「ラジコンカー」ではないだろうか?!

 

今では幼稚園のバラ組に通う「のはら しんのすけ」のようなガキでもラジコンカーを

もっていて、休日ともなれば その辺りの公園でも ラジコンカーを見かけるが、当時は

1ケ月の小遣いが300円に対して、ラジコンカーは1万5千円もする超高級品であったのだ。

つまり1ケ月間 駄菓子屋でベビースターラーメンやライスチョコを絶対に買わないで

300円をキープしたと仮定して、4年以上 我慢しつづけないと買えないという

計算になる。「石の上にも 3年 ラジコン買うなら4年」ということわざまであるくらいだ。

まさにラジコンカーは「キング・オブ・ザ・おもちゃ」と定義してよいだろう。

 

たとえば、アニメを例にとれば、わかりやすいと思う。

ドラエもんの「のび太」くんや、ハクション大魔王の「カンちゃん」のような

庶民的家庭の子どもはラジコンカーを持っていないが、「スネ男」とかチビまる子ちゃんの

「ハナワ君」はこれを持っている。

つまりラジコンカーはお金持ちのおぼっちゃまだけに所有が許されたおもちゃなのである。

ゆえに おもちゃ大好きのはすぴーもラジコンカーは持っていなかったが、お金持ちで

おぼっちゃまの岩田君に遊ばしてもらったので、こうして書くことができる。

 

そもそも「ラジコン」の意味もわからないで使っていたが、ラジオ・コントロールとは

無線で自由に操縦することができてしまうことが、当時の子どもたちにはカッチョ良か

ったのだ。まさに「鉄人28号」をリモコンで操る正太郎くんになった気分になれる

からであった。ラジコンの最大の魅力は「無線」である。有線で動かすおもちゃは

「ハンドルリモコンカー」と呼ばれていて、コントロラーを兼ねた電池ボックスから

コードが出ており、これが車と繋がっていた。このコードは電気を流す役割のものと

前輪を操作するワイヤーが一緒になっていた。コントローラーにハンドルのようなもの

がついていて、右の回せば 車も右にまがるという仕掛けになっていた。

たしかコードの長さは1メートルくらいしかなかったし、スピードもさほど出るものでは

なかったので、畳の上で犬を散歩させているような感覚だった。

「ハンドルリモコンカー」もそれなりに人気のおもちゃであったが、「無線」で操縦する

ラジコンカーに比べたら、その羨望度合は「月とスッポン、提灯に釣り鐘、馬の耳に粘土、

隣りの客はよく柿食う野郎だ」つまり雲泥の差があった。

 

ハンドルリモコンカー

 

さて当時のラジコンカーについて、若干説明しよう。

当時のラジコンカーは昨今のような高性能なものではなく、スピードも遅く10メートルも

離れてしまうと電波が届かないのかすぐに止まってしまう。本当かどうか知らないが

うわさでは近くでラジオを聞いていると暴走してしまう、、、なんていう話すらあった。

また今のやつはオフロードだの、4WDだの推進力もあり坂道だろうと砂利道だろうと

平気らしいが、当時のものはボディはポルシェだったり、パトカーだったりしたが、

ちょっとでも小石のあるような場所では遊ぶことができないくらい軟弱、ひ弱なパワーで

あった。コントロールは前進・後進と左折・右折ができたので今のものと変わらない。

特に遊び方というものはなかったと思うが、適当にコースを描いたり、ビンを立てたりして

その間を上手に操縦させることくらいだったように思う。

 

公園や空き地で遊んでいると、もの珍しい高級おもちゃであるので、どこからともなく

子供たちがやってきて「羨望のまなざし=よだれタラタラ状態」で見られる。こういう

書き方をするとまるではすぴーの所有物であるかのようだが、そのくらい一緒に遊んで

いるだけで優越感に浸れるのだ。

そしてドラエもんなら「ジャイアン」、オバQなら「ゴジラ」、アッコちゃんなら「大将」

のようなやつが 必ずいて次のような会話が定番のようにある。

 

ジャイアンもどき:「おい、岩田、楽しそうじゃねぇ〜か。俺にもちょっとだけやらせろよ」

岩田君:「ち、ちょっとだけだよ。すぐに返してね。ら、乱暴にしないでよね」

ジャイアンもどき:「ふん、わかってらい。どれ 貸してみろ」

「がっはっはっ、、、こんなの簡単じゃねぇ〜」

(5分後)

岩田君:「も、も、もういいだろう。そろそろ返してよ」

ジャイアンもどき:「何だ、岩田。お前 いつからそんなケチな野郎になったんだ?」

岩田君:「だってぇ〜、、、あんまりやると壊れちゃうんだよぉ、、、」

ジャイアンもどき:「大丈夫、大丈夫、簡単には壊れたりしねぇ〜よ、がっはは」

 

アニメだと、ここで池に落ちるか、ダンプにひかれるか、煙を吐いてオーバーヒートする

という悲惨な落ちがあるのだけど、現実はそこまで笑えるような落ちがなかったのが残念だ。。。

 

話がそれてしまったが、要するにラジコンカーは当時の子どもたちにとって「憧れの

ハワイ航路♪」的 羨望のうらやましい超豪華でデラックスな貧乏人には高嶺の花だぜ的

なスペシャル・ワンダーフルおもちゃ、つまり「キング・オブ・ザ・おもちゃ」なのであった。

 

はすぴーはラジコンカーが欲しい欲しいと思いながら、一度も手に入れることなくオトナ

になってしまった。実は何年か前にパチンコに行って珍しく玉が出たことがあった。

景品は何がいいかと探していたら、「ぱんぱかぱーん!」とラジコンカーが置いてあった。

オトナになったはすぴーは これを景品とすることはかなり恥ずかしいと思ったが

出来るだけ顔の表情を「これは私が欲しくて景品にしているわけではないのです。

私には5歳になる息子がいて、これを欲しがっているのです。断じて オトナの私が

これで遊ぶとは思わないでくださいっ。本当です。」という顔をしてパチンコ玉と交換し、

憧れの君をゲットしたことがある。

 

****************

 

ところで、ラジコンカーの素晴らしさは「無線操作」にあると書いたが、同様の理由で

当時 人気があった憧れのおもちゃとして「トランシーバー」があった。

これについての説明は不要だろうが、トランシーバーも庶民の子どもには高嶺の花で

あった。トランシーバーはガムやチョコの懸賞品として君臨していたので、このことからも

その魅力が伺われるのである。

はすぴーはトランシーバーを持っていなかったが、これもお金持ちの岩田君は何げに

持っていて、一緒に遊ばせてもらった。岩田君にしてみれば、一人でトランシーバーを遊ぶ

ほど器用な人間ではなかったのだ。(当り前か)

 

トランシーバーの遊び方なんていうものはないのだが、多くは「スパイ尾行ごっこ」

またはその派生である「好きな女の子の家、追跡ごっこ」などの尾行追跡道具として

用いられることが多かった。

 

はすぴー:「今、目標は八百屋の角を左に曲がろうとしている、ザザー」

岩田君:「了解ですぅ ガァー」

はすぴー:「おっと、目標は何かを探しているようだ」

岩田君:「それは何だ? ザザァー」

はすぴー:「・・・のようだ・・・ガーーーピィ」

岩田君:「すまん、もう一度頼む、聞こえなかった、、ぴぃぃ〜」

はすぴー:「・・・だ・・・ガーーーピィ ザザー」

岩田君:「もう一度 言ってくれ、、、ガーー」

はすぴー:「・・・だと言っているんだ、、何度も言わせるなザザー」

岩田君:「えっえっ・・・?」

はすぴー「このツンボ野郎、、、、ピィ〜ザー」

 

こういうやりとりをしてしまうくらい 感度が悪くて自然と大声になってしまい

トランシーバーを使わなくても会話が成立してしまうのも懐かしい思い出だ。

ラジコンカー同様、性能はあまり良くなかったので、電波の届く範囲はせいぜい

10〜15メートルくらいだったように思う。だから肉声でも十分届く距離

あったが、わざわざトランシーバーを使ってお互いに姿を隠しながら、または

後ろ向きになりながら遊んだ記憶がある。

 

どうでもいいことだが、トランシーバーで思い出すこととして、使用した

電池のことである。普通、おもちゃに使う電池は単一か単三であったが、

トランシーバーは9ボルトの四角い電池(名前は知らない)を使っていたことだ。

この四角い電池を初めて見たはすぴーは「うーむ、さすがにトランシーバー、

普通の電池じゃないんだな」と思ったことを昨日のように覚えている。

 

 

ラジコンカーにしてもトランシーバーにしても昭和40年代の子どもたちには

憧れのおもちゃであり、あれから30年以上たった現在でもこれらは高性能化

しつつ、いまだにおもちゃとして存在していることは素晴らしいことではなか

ろうか。そしてあと30年後にも、これらのおもちゃは生き残って活躍してい

るように確信している。

(99.9.25)

 「60年代通信」より借用

あの頃のセピア色の想い出

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