アンビリバボーな昭和のくらし(その4) 

現在、20歳以下の人がぶったまげるような昭和の「あの頃」(30〜40年代)のくらしをご紹介いたします。

 

 コニビニがなかった

今では当り前のように存在している「コンビニエンスストア」だが、実はコンビ

ニの歴史は浅い。セブンイレブンの第1号店が東京の江東区にオープンしたのは

1974年(昭和49)5月15日だから、まだ30年にもたっていないのだ。

てなわけで、はすぴーがガキの頃にはコンビニなんてものはなく、パンが欲しけ

りゃ、パン屋さんに、マンガが欲しけりゃ、本屋さんに、電池が欲しけりゃ

電気屋さんに行くしかなかった。そして商店はたいてい夜の7時くらいには閉店

してしまうし、(どうしても必要な時には、ご近所のよしみで裏口をたたいて、

店を特別にあけてもらうこともあったが)週に1度は休みをとるし、盆や正月休み

は平気で1週間くらい休んでいた。

だからセブンイレブンが近所にできた時にはその利便性に感動すらしたもんだ。

コンビニエンスという言葉も、この頃から普通に使われるようになった。

食料品から日曜雑貨まで生活に必要なものをワンストップで購入できることも

便利であったが、何よりもセブンイレブンの名前の如く朝の7時から夜の11時

まで営業していることが庶民にとっては便利(コンビニ)であったのだ。

当時のセブンイレブンのキャッチコピーは「セブンイレブン、いい気分。

開いてて良かった」といったが実にうまいうたい文句だと思った。

その次には「なぜか急にいなりずしが食べたくなった」というコピーで

日常生活にますます浸透するようになった。

その後については今さら説明する必要はないだろうが、ローソン、ファミリーマ

ートなどが参入し、24時間営業、宅配便、ATM、通販窓口などますます便利さ

に拍車がかかっていて、現代人にとってはなくてはならない存在になった。

今の若者にコンビニのなかった時代を想像することができるだろうか?

 

 

ファミレスがなかった

コンビニ同様、ファミレスの歴史も浅く、第1号が登場したのは、1970年

(昭和45)万博の年の7月7日に東京都府中市に「すかいらーく」が誕生したのが

最初である。「ファミリーレストラン」という呼び名は、この1〜2年後にマスコミ

が命名したそうだが、いつのまにか略して「ファミレス」と呼ぶようになった。

当時のファミレスは郊外型が一般的で店舗周辺にほとんど建物はなく、広い駐車場

があって、まさに家族向けを対象としたレストランという感じだった。

中には「建物がガラス張りで食事をしているのが丸見えだから、嫌いよ」という

お母さんも少なくなかったとか。。。

はすぴーがガキの頃には、ファミレスはなかったが、たまーに家族で外食をする

ことがあった。その場所は「デパートのレストラン」母に言わせれば、庶民のさ

さやかな贅沢だったとのことだ。私と同世代の方なら記憶にあると思うが、デパ

ートに行く時には、大人も子どもも“こぎれいな格好”をしていくのだ。

父はスーツ姿で髪をポマードでバッチリときめ、母は化粧に30分は費やしていた

と思う。姉はフリフリのついたお嬢様姿で、オイラは半ズボンにサスペンダーな

んかしちゃったりしてベレー帽までかぶるありさま。

そして普段、食べることのないような料理を注文して、ささやかな贅沢を

噛み締めるのであった。そんなわけで、はすぴーはレストランという言葉の

響きには「豪華」を連想してしまい、今でもレストランに入る際には妙に

緊張してしまったり、財布の中身を確認してから入るくせがある。(笑)

 

 

当時、なかった食べ物

デパートのレストランで注文するのは、定番の「お子様ランチ」であったり

ハンバーグ、カニコロッケ、スパゲティなどであった。

これを読んでいる読者の方で年齢の若い人は「えー、スパゲティがご馳走なの?」

と思うかも知れないが、当時は(少なくともオイラには)ご馳走の部類に属していた。

あの頃、スパゲティといえば、ミートスパゲティかナポリタンしかなかった。

ボンゴレだの、パジリコだの、たらこだのという多彩なメニューは最近に

なってから登場したように思うのだが、いかがなものだろうか。

ついでに、はすぴーが小学校の頃に存在していなかったものをあげると、、、、

ブロッコリー、カリフラワー、アスパラ、キューイフルーツ、グレープフルーツ、

ライチ、アメリカンチェリー、カイワレダイコン、シーチキン、ウーロン茶、等々

(もしかしたら存在していたのかも知れないが、庶民には普及していなかったか

あるいはうちが貧乏だったので買えないだけだったのかも)

 

逆に当時、よく食べたり飲んだりしたのに最近しなくなったものとして、、、

きなこ、あんこ、でんぶをごはんの上にかけて食べた

麦茶、トマトジュースに砂糖を入れて飲んだ(トマトに砂糖をまぶして食べた)

家で「あられ」を作った。熱いうちに醤油をかけて食べると美味い。

ひな祭りでもないのに、年中、あま酒を作って飲んだ

冬の定番といえば、おしるこ・ぜんざいであった

粉末ジュース(わたなべのジュースの素)、パンチコーラで喉を潤せた

クリープを溶かしてホットミルクにした

(これって、もしかしたら、、、うちだけか?)

     

 

お菓子はグラム売り

たとえば、あなたが今、ビスケットや甘納豆が食べたくなれば、お菓子を売って

いるスーパーやコンビニなどで、それらを1袋づつ買ってくるだろう。

昭和40年代にはお菓子屋さんに行って、食べたいお菓子をグラム単位で買うのが

普通であった。店内らはガラスケースが20種類くらいあり、

かりんとう10g×円、ベビーカステラ10g×円、こんぺいとう10g×円、、、という具合に

ケース毎にラベルが貼ってあり、お客は「これを20g、これを10gづつね」

と指名する。店の人は言われたお菓子を小さなシャベルのようなもですくい、

紙袋に入れて体重計を小さくしたような秤で測定する。経験からおおよそ目測で

わかるらしく秤の目盛りは一回でピッタシカンカンであった。

子どもだからと言って決してズルをすることはなかったし、多少オーバーした時

には「ちょっとオマケね」と言ってくれた。また買い物の手伝いだとわかると

(商品性のない)割れたせんべいなどを口の中にポイと入れてくれたこともあったり

して、お菓子屋さんの買い物は楽しいお使いであった。

 

日銭の金はザルの中に

お使いといえば、最近の子どもたちは買い物のお使いをほとんどしていないの

ではないだろうか。はすぴーがガキの頃には好む好まざるにかかわらず、子ども

は家の手伝いをし、買い物にも毎日のように行かされたもんだ。

八百屋でダイコンを買い、肉屋でコロッケを買い、魚屋でサンマを買うのだ。

主婦のように品質を鑑定する目があるわけではないが、店のオヤジはいいものを

選んでくれたと思う。たぶん、、、当時はお買い物専用の「カゴ」というのが

あって、(加護ちゃんデス♪)今でいうスーパーのビニール袋はなかったように思う。

それらの店で共通しているのは、天井からつり銭を入れるザルがゴムでぶら下

がっていることだ。現在のようにレジなんてものはない時代だから、当日の売上

はザルの中に入っている様子だ。ザルはオヤジのちょうど頭上にあり、手を伸ば

した辺りにセットされている。この高さならおいそれと盗難にもあわないだろう。

ちなみに魚屋には、ハエ取り紙が何本もぶらさがっていたなぁ。

 

 

路地裏へのモノ売り

買い物(お使い)とは逆に、路地裏にまで入ってくるモノ売りがいた。

懐かしいところでは、夏になると金魚や風鈴を売ってくるオヤジ、アイスクリームや

アイスキャンディをベルを鳴らしてやってくるおっさん、秋には「ほっかほか

玄米パンだよ」、季節を問わずにやってくるのが「竿やぁ〜竿竹ぇ〜」「パフゥ

〜パフゥ〜の豆腐売り」「(軽快なリズムとともに)網戸やアルミサッシを交換し

まーすぅ」とリアカーや自転車でやってきたし、神社には「バクダンあられ」

ドッカーンとやっていた。

はすぴーの時代にはいなかったが、もう少し古い世代だと、納豆売り、しじみ売り、

鰯売り、虫売り、行商人などが天秤棒をかついでやってきたというから、こりまた

驚き、江戸時代のような感覚じゃねぇーか。

その他、現在でも現役なのが「石焼きいもぉ〜焼きたて〜」「チャラリーララ、

チャラリーララ〜のチャルメラ」「不要なバイクを買い取りまーす」「(遠き山に

陽は落ちてのBGMで)灯油売り」など元気に頑張っている。

 

はすぴーが小学生の頃までいたのが「押し売り」というやつだ。TVアニメ

「サザエさん」でも登場するので、ご存知の方もいるだろうが、ゴムひもなどを

法外な金額で売りつけるという商売で、押し売りのセリフはだいたい決まっている。

「いいか、俺はだな、昨日ムショから出てきたばかりで、このゴムひもが売れねぇ

〜とアニキからどやされるんや。いらないとはいわせねぇ〜ぜ」ここで包丁を本当

に出したかどうか定かではないが、実際にこんな商売がまかり通っていたのは事実である。

「押し売り」とは逆にウェルカムだったおじさんは「富山の薬売り」だ。

なにやら丁寧な挨拶を母親と交わし、健康や薬に関する世間話をしていたように

思う。そして薬のパッケージがぎっしりとつまっている箱から使用した分を交換

していき、薬代を清算するのだ。そして子どもには紙風船をおみやげとして手渡し

てくれる。こども心に「この人は良いおじさんだ」と感じた。

そして最近ではめっきりと見かけなくなったが、忘れてならないのは軽トラで

やってきたチリ紙交換である。いつも同じテープを流していたので、30年たった

今でもそのセリフを暗記してしまったではないか!(笑)

「毎度、お馴染みのチリ紙交換でございます、ご家庭内の古新聞、古雑誌、

ボロ切れなどございましたら、多少にかかわらずご連絡ください。

新しいトイレットペーパーと交換させていただきます」

チリ紙交換は人件費を含めた回収コストの方が高くつくという理由で、世間から

なくなったしまったようだが、今にして想えば実に懐かしい昭和の臭いがする

光景だ。新聞、雑誌をロープでまとめて、10山くらい出したところで、貰える

トイレッペーパーが2〜3個。母親のため息を昨日のように覚えている。

 

  

 


 →アンビリバボーな昭和のくらし(その1) (その2)  (その3)

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(原稿:2002.3.3)

 

「あの頃」のセピア色の想い出