駄菓子屋もんじゃ出世物語

 

子どもの頃の懐かしい思い出といえば、「駄菓子屋」を欠かしてはならない。

はすぴーの勝手なイメージかも知れないが、駄菓子屋の店がまえ(配置)は

なぜか共通点が多い。もしかしたら全国駄菓子屋連合協会なるものが存在し、

全国的に「店がまえマニュアル」を配布したのかも知れない。(笑)

 

まず店の表には「ガチャポン」が2〜3台 置かれている。そしてラムネが

入ったトタン貼りの水槽のようなものやホームランアイス、メロンシャー

ベットなどが入った冷凍庫。(優柔不断で迷っていると「早く決めて窓を

閉めなさいっ!」とおばちゃんに叱られる)

表にはベンチか長椅子がおいてあって、「立ち食いはお行儀が悪いので、

ここに座って食べなさい」と言わんばかりである。

これをイワンのバカ 暗黙のお仕着せベンチ」とはすぴーは定義している。

 

入り口付近には夏は’かき氷製造マシーン’がドーーンと置いてあるし、

冬には’あったかいおでんコーナー’を設置している店もある。

さらに入り口付近には、多少、砂ホコリをかぶっても「まっ、いいか」と

おばちゃんに判断された類のもの、たとえば花火・銀玉鉄砲などの屋外で

遊ぶおもちゃが置いてある店が多い。

 

そして店内に入ると、全体的に薄暗く狭い。その狭い空間にゴチャゴチャ

といろんなものが山積みになっていたり、陳列されているからこそ、それは

子どもたちにとって「宝の山」的存在になっているのだ。

総じて中央には食べ物系が配置され、奥に進むとおもちゃ系、さらに奥には

プラモデル系が配置されている。

これを「アルプスの少女 ハイチの法則」とはすぴーは定義している。

 

また駄菓子屋によっては、別の本業を経営している店もあり、文房具屋で

あったり、雑貨屋であったり、本屋であったり、おもちゃ屋であったりする

場合も少なくない。もっともこれらが駄菓子屋の副業ではなかろうか?と

疑問視されるケースもあり、そのボーダーラインというか業際は微妙だったりする。

これを「正・副、微妙な二毛作:1粒で二度おいしいグリコキャラメル経営」

とはすぴーは定義している。

 

さらに東京下町の駄菓子屋では「座敷」という個室コーナー?もあった。

6畳程度の畳の部屋に掘りこたつ形式かテーブル形式になっていて、夏には

かき氷、冬には「もんじゃ焼き」を食べさせてくれる。

当然、テーブルチャージも予約制も、女性の接待はない。

空いていれば誰でも無料で使用でき、子どもたちの井戸端会議

の場所にもなっていた。

これを「放課後に集う、少年少女コミュニケーション・スクエアーガーデン」

はすぴーは定義している。

 

ここで「もんじゃ焼き」について補足したい。

はすぴーが大人になってから聞いたのだが、もんじゃ焼きは東京下町、特有の

食べ物らしく現在でも関西地区では珍しく、九州地方には上陸していないとのことだ。

当時のもんじゃ焼きはメリケン粉を水とソースに溶かし、少しだけキャベツや

キリイカが入っているだけの「素もんじゃ」であった。

値段は20円だったと記憶している。そしてオプションとして玉子や揚げ玉、

などがあったが、これらについは家庭からの「持参もOK」であり、駄菓子屋

のおばちゃんには「おばちゃん、ぼくのは家から持ってきた玉子を入れちくれ」

と自己申告すればよいのだ。

さらに店内で買った駄菓子、例えばカレーせんべい、ベビーラーメン、ばくだん

あられ、などを粉々にして入れると美味しさが倍増される。中にはあんず、

すもも、チューブチョコを入れる愚か者もいたが、すっぱい系・甘い系

もんじゃにはそぐわない、、、ということを痛感することになる。

 

もんじゃの最大の欠点は焼いた時の見栄えと色にあると言われている。

それは温泉で有名なゲ○に酷似しており、上記のような甘い&すっぱい系を

ブレンドした時には匂いまで似てくるという欠点を否めない。

下町ではもんじゃを食べている時には決して、ゲ○の話題をしてはいけないという

暗黙のルールが成り立っており、これはカレーを食べている時には、う○この

話題に触れてはいけないという全国ルールに準じたものである。

 

もんじゃはハガシという小さなヘラでジュウジュウ焼きながら食べるのだが、

このスタイルは35年経過してもまったく変化していない。

もんじゃ特有のペイスト状になっているものをさらに薄く引き伸ばし、その

まま放っておき、おこげになったところで、ハガシで鉄板から剥がすことで

「おこげパリパリせんべい」が完成する。

考えてみれば、ただの焦げカスにしかすぎないのであるが、当時の子どもたちは

これをこよなく愛しており、結婚を前提にお付き合いさせてくださいっ!と

思うほど好きだったのである。

 

ところで最近のもんじゃ焼きには魚介類や肉、野菜も充実しており、値段も

500〜700円くらいすると聞いて、はすぴーは驚いた。さらに餅、明太子、

チーズ、そば、カレー、、、、なんでもありという状況だ。

東京の「月島」というところでは、もんじゃ専門店が70軒くらい密集しており、

当時20円だったもんじゃも随分と格上げされた。

これを「もんじゃ焼き立身出世物語:どんなもんじゃ」とはすぴーは定義している。

 

もんじゃというと、すぐに月島を連想しがちだが、正確には「月島流」の他に

「千住流」「向島流」の3流派があり、はすぴーは地元でもある「千住派」を

応援している。この流派は最初からソースが入っていないことと、

「土手をつくること」を邪道としているのだ。(笑)

 

関西地区で「もんじゃ焼き食べ放題2900円」という情報を得たが、大笑い

してしまった。もんじゃは沢山食べられるものではないし、元を取るためには

どのくらいの量のもんじゃを食べなくてはならないのか、想像してしまった

からだ。そして食べ過ぎてもんじゃが本当のゲ○になってしまったら、、、

 

先日、久しぶりにもんじゃ焼きを食べたが、確かに内容は昔のものに比べ

格段に充実しており、美味しかったが、どうも別の食べ物になってしまった

ような寂しい気持ちがした。

ちょうど128ビットのプレステ2よりも8ビットのファミコンの

方が楽しかったような気がする懐古現象の一つだろうか。

さらに最新の情報では、パンの中にもんじゃを入れて立ち食いすることが

月島では”おしゃれ”になっているらしい。(-。-)y-゚゚゚

 

おばちゃんに「たまご、持ってきたから入れてねぇ〜」なんて言ったら

どんな顔をされることやら。。。。。 

 

(私事で恐縮ですが、、、)

はすぴーが「駄菓子屋」という言葉を知ったのは、小学校の高学年の時で

あり、それまでは「いしゃーら」と呼んでいた。これははすぴーだけでなく

母親も姉も近所のみんなが「いしゃーら」と呼ぶ店であり、駄菓子屋のことを

全国的にこのように呼ぶものだと、ずーーと勘違いしていた。

「いしゃーら」とは「石原」さんの名前で、正しくは「石原屋さん」と

言うところを自然淘汰され、「いしゃーら」になったものだと推測される。

「石原屋」は文房具屋として店を立て直したが、倒産したらしく今では存在しない。

 

また「恵比寿屋」という無愛想なおやじの経営する駄菓子屋はもとは乾物屋で

いつのまにか潰れてしまったし、「銀屋」という親子で経営していた店は

プラモデル系が豊富であり、最近では一世代前のテレビゲームなどを設置し

頑張っていたのだが、昨年潰れてしまい、今では保育園になっている。

 

さらに「増田屋」はもんじゃには定評のある駄菓子屋であり、お好み焼き屋

としてリニューアルされたのだが、平成バブルがすっ飛ぶと同時に店もすっ飛んでしまった。

 

てなわけで、小額小売り業界の経営の困難さを目の当たりにするはすぴーであった。

現在では我が家の娘たちを車に乗せ、わざわざ遠方の「ひばり」まで

出かけ、懐かしい駄菓子やおもちゃを購入している。

 

(原稿:99.4.18)

 

 
 


 

「あの頃」のセピア色の想い出

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